今年も、被爆70年目の平和記念式典に参列してきました。
 
天気も良く、70年の節目というのもあり、全国各地、海外からも多くの方が来られていました。
最近は、若い人の姿も多くなってきたかなという印象があります。
 
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私が式典に参列するようになったのは、約13年前、横浜にいた時、8月6日の気配がまったく感じられなかったことがきっかけなんです。
(だって8時15分にサイレン鳴らないんです。)
広島では、8月6日8時15分が、あれほど意識されているのに、なんでだろうと思いました。
また逆に、ずーっと広島に住みながら、何かしてきたのかと思い知らされました。
 
広島に戻ってからは、生前、祖父が朝早く起きて、暑い中、平和記念式典に参列していたのを思い出して、
できるかぎり、8月6日の記念式典に参列してきました。
 
が、いつも、黙とうをささげる場所は、平和公園ではなく大手町2丁目、平和公園の東岸と決めています。
そこは、写真でしか見たことのない祖母、叔父2名が亡くなった家のあったところなんです。
 
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そこには毎年、黒い喪服をきた70~80歳ぐらいの年齢の女性が来られています。
いつも同じ場所に、来られているので、すごく気になりますが、姿を見ると、少しほっとします。
 
もしかしたら、ご近所さんだったかも?
そんな質問をしてみたいとも思うのですが、それを聞いてどうなるのか、と思う自分もいて、結局、聞くことはありません。
 
私の家族も、被爆を経験したものは、ほとんど亡くなってしまいました。
今後、被爆者の話を直接、聞く機会はますます減っていくでしょう。
 
語り部がいなくなり、語り部に代る方法としてCGやより鮮明な画像が作られ始めています。
たしかに悲惨な状況は忠実に再現できるかもしれません。
それが単なる映像技術としてのみ興味本位に拡散されていくのは、どうなのかとも思います。
 
そんななか、ある学校で、語り部のかたが生徒に対していった言葉が深く突き刺さりました。
「あなたたちが、こうやって実際の被爆者の口から体験談を聞ける最後の世代なんですよ」
 
この言葉をしっかり受け止め、私達なりに出来ることを次世代にしっかり受け渡していきたいものです。
 
T.K.