令和に改元されてはや20日、改元フィーバー、「令和初なんとか」というイベントも一段落したようですが、私はいまだに新元号を記入/入力するという場面に遭遇していません。

高度情報システム化が進み、インターネットが発達し、グローバル展開が当たり前の現代社会では、ほとんどの事柄が西暦ベースで運用されています。
我が社も何年か前に基幹システムの日付表示を元号タイプから西暦タイプに変更しているので、このたびの改元の影響はほとんどありませんでした。
報告書も各種資料の日付も西暦表示がデフォルトです。

ちなみに元号に関する法律、元号法にはわずか2条しかありません。

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ということで、元号を使用しなければならないという法律はないのです。
それでは、日々の生活で新元号「令和」を使う機会はどれくらいあるのでしょうか。
すぐ思いつくのは、

  • 日本国政府、地方公共団体などの公文書、
  • 銀行通帳の日付、
  • 運転免許証、
  • 年回忌法要早見表、
  • 表彰状、
  • 年賀状(縦書き)

ぐらいですね。

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日本国政府、地方公共団体などの公文書は、システムの改修費用がそれなりにかかっているのではないかと思うのですが、あえて威厳をもたせたいという理由なのかもしれません。
縦書きのニーズがある場合には、西暦表示よりも和暦(元号)タイプのほうがしっくりくるのは、きっと日本人のDNAがあるからですね。

どうやら、高度情報システム化した社会では、元号はサブとしての意味合いしかないようです。
とはいえ、元号がなくなってしまった日本は、なんとも味気ないものになってしまう気がします。
元号があるからこそ

昭和歌謡、
昭和の怪物(江川卓)、
平成バブル、
平成の大合併、
平成の怪物(松坂大輔)
のような時代を象徴する言葉も生み出されました。

なんでも元号で一括りにされるのは、ちょっといやだなと思う反面、
同じ時代をともに生きたという一体感、空気感は西暦では味わえない感覚です。
(西暦では1960年代ポップス、1970年代ロックのように10年を一区切りでまとめることが多いようです。これではスパンが短く世代を超えた一体感はすこし感じにくいように思います。)

令和の意味を英語で表現すると、”Beautiful harmony”とのこと。
これからの日本の歩む道を表現したスローガンにもとれる素晴らしい元号だと思います。

個人的には、どんな令和の怪物がでてくるのかも興味津々ですね。

#大谷はどうなんじゃろ? 
#まだすごい奴がおるかもしれん。
#やっぱり、ほのぼのレイワがいいね。
#令和の次の時代まで見られるのか。

投稿日:令和元年五月二十日
T.K.