毎年、6月の声を聞くと梅雨入りの時期が話題になります。「今年の梅雨は、残念ながらありません」ということはなく、先日ついに中国地方も梅雨入りしました。草刈りをしたり庭木の剪定をしたりと、この時期は外で活動することが多く、休日の予定を決めるために天気予報や雨雲レーダーなどとにらめっこをする日が続きます。
梅雨が来る前に、東京の上野駅でJR電車を乗継いで出かけることがありました。
上野駅はかつて、東京と東北方面を結ぶ始発駅であり終着駅でもあるという北の玄関口として機能していました。15番線の線路終端部に、石川啄木の「ふるさとの 訛なつかし停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」という歌碑があります。
この歌は有名なので知っていましたが、それを上野駅で見るとなぜか心に強く響くものがありました。私も同じような思いにかられたことが何度かあります。誰にとっても自分の出身地や住んでいた故郷というのは特別な存在なのだと思います。たとえ出張であっても故郷を離れていると、その地の風景や食べ物など、いろいろなものから懐かしさのようなものを感じることがあります。都会の中で大勢の知らない人達に囲まれ、少なからず緊張感をもっているときに、聞き慣れた言葉が聞き慣れた抑揚で耳に入ってくるとほんの一瞬ですが緊張感が安心感に変わるのです。啄木のように意識的に聴きに行くことはありませんが、思わず声のする方へ顔を向けてしまいます。
「方言は地域の文化を伝え、地域の豊かな人間関係を担うものであり、美しく豊かな言葉の一要素として位置付けることができる。」と文化庁のWebサイトにありますが、方言というのはある種の安心感や安全感を感じさせるものではないでしょうか。
人は集団をつくり社会生活をする生き物であると考えれば、本能的に仲間を探して安心や安全を求めているのだと思います。東京では広島弁に、海外の街では日本語を話す日本人に、スタートレックの世界では地球人に反応するのでしょう。
人類の火星移住が実現したときに、火星の空港で「・・・到着するまでに、いびせえことがえっとあったんよ・・・」と聞こえたら、その声を出した人を探し出して抱きしめてしまうかもしれません。